Shino's Bar Shino-chan

ハシズムの危険

お相撲さんはなぜ「君が代」を歌うのか

公立学校の教師なら「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うのはあたりまえ?

10 Mar 2012

大阪の「日の丸・君が代」条例

2012年2月28日大阪市議会で、市立学校の教職員に学校行事で「君が代」を起立斉唱を義務付け、市の施設での日の丸掲揚を義務付ける、いわゆる「日の丸・君が代」条例が可決された。 大阪維新の会と自民、公明両党の共同提案。 橋下大阪市長はこれらの義務付けを「当たり前のことをあたりまえにやる」と称しているが、 同様の条例は橋下大阪市長が府知事時代の大阪府議会で維新の会だけの賛成で成立しているほかは、全国に例がない。 大阪だけ(というより橋下だけ)が当たり前で、他所が不自然なのか?

大相撲と「君が代」

公立学校の教師が式典で「君が代」を起立斉唱するのは、かって「当たり前」ではなかった。 いまでこそ日本シリーズやJリーグの開幕戦でも「君が代」が歌われるのだが、 たぶん戦後から1990年代までの間は、「君が代」は大相撲の千秋楽に歌われる「おすもうさんの歌」だった。 なぜ公立学校の式典で「君が代」を起立斉唱するようになったかを論じる前に、なぜ大相撲で「君が代」が歌われるのかを考えてみよう。

オリンピックは国と国との対抗戦という性格があるから、表彰式に国歌が演奏されるのは分からなくないが、日本にしかない大相撲で国歌が演奏されるのはなぜだろう? 答えは簡単で、相撲は日本の国技だから。 では、相撲が日本の国技なのはなぜだろう?じつを言うと日本の「国技」というのは法律はおろかどこにも決められていない。 相撲が日本の「国技」だというのは相撲協会が自称しているということ以外に何の根拠もない。 「国技」を自称し、自らの競技場を「国技館」と名付け、表彰式に天皇賜杯を受け国歌を演奏することでそれを演出することでそれらしくしたものだ。 日本人ではない力士が優勝しても「君が代」を演奏するのはこの理由による(優勝力士本人は歌わない場合があるのも当然)。 日本シリーズやJリーグはそれを真似ただけのこと。

国旗が必要な場所

郵政が民営化する2007年までは、郵便局には「日の丸」が掲げられていた。 当時の郵便局は国の機関である郵政省の外局だったから。 いまも各地方にある国の出先機関には「日の丸」が掲げられている。 これはよく分かるのだけれど、たとえば大阪市役所に市の旗は当然として、いっしょに「日の丸」が掲げられているのはどういう理由なのか、よく分からない。 府立や市立の学校に「日の丸」を掲げてはいけないという理由はないけれど、掲げなければならないという理由も私にはまったく分からない。

ヨーロッパのある地域に、ほとんどの家で常に国旗を掲げている地域がある。 オランダ、ベルギーとドイツの国境地帯にあるその町は、国境線が入り組んでいて、家々に国旗を掲げないとどこの国だか分からないからだという(EUができ行き来が自由になる前の話なので、現在はどうか分からない)。 国旗に限らず旗というものは、その団体のアイデンティティを示すために必要なものだ。 大きな集会に行くと組合の旗などが掲げられていて、その下に組織員が集う。 他者がいないところで旗は意味をなさない。 島国の日本で国旗が必要な場所は国の出先機関の他は、国際試合のときと戦争のときぐらいのものだろう。

国歌にしても、どういうシチュエーションでこれを歌うのか。 オリンピックやワールドカップはさておこう。 私はオランダ総領事館が主催する女王誕生記念パーティーでオランダ国歌を歌った経験がある(ちなみにオランダ国歌は現存する世界の国歌の中でも最古参だとか)。 これはしごく自然だと感じた。 しかし学校の入学式や卒業式で国旗を掲げ国歌を歌うのはどうも場違いな気がする。 世界でそういう国は少ない。たぶん中国と日本くらいなもの。

「日の丸」、「君が代」を押し進める人たちはどうも戦前を懐かしんでいるようにしか思えない。 ところで戦前はどうだったのだろう? 1900年の小学校令施行規則で「紀元節、天長節、元旦に職員、児童は式を行い、君が代を合唱すること」が定められている。 紀元節は神武天皇の即位日、天長節は(当時の)今上天皇の誕生日だから、天皇の世の永続を願う「君が代」をその日に歌う戦前はむしろ自然。 最近の入学式や卒業式での「日の丸」、「君が代」はかなり無理があると私には思える。

なぜ公立学校の式典で「日の丸」「君が代」なのか

さきに述べたように戦後から1990年代まで学校で「日の丸」の掲揚や「君が代」が演奏されることは一般的ではなかった。少なくとも大阪ではほとんどなかった。 ことの起こりは 1989年の文部省告示で「入学式や卒業式などにおいて、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するように指導する」としたことに始まる。 ところがこのとき日本に「国旗」も「国歌」もなかった。「日の丸」と「君が代」が国旗、国歌と定められたのは1999年の法律によってである。 このあと2003年に東京都教育委員会が「入学式、卒業式等における国旗掲揚および国歌斉唱の実施について」という通達を出し、違反した教師に対して厳しい処分を連発したことが契機となった。 いまは東京だけでなく大阪でもほとんどの府立、市立の学校の式典で「日の丸」と「君が代」が実施されている。

ところで、この1999年の「国旗及び国歌に関する法律」は、国旗は日章旗、国歌は君が代であると定めただけで、その扱い方について何も記していない。 それ以上のことは国民の合意が得られず、何も決められなかったということだ。 法律制定前にフライングした文部省の告示、通達、学習指導要領がこの法律によって裏付けられたということではない。 なので、公立学校の教師は公務員だから国の法律にしたがって「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うのはあたりまえということにはならない。 むしろ文部省のこういった指示が憲法や法律に反しないかということが問題になる。

卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立しなかったことを理由に東京都教育委員会が教師たちを戒告、停職の懲戒処分したことについて、 2012年1月16日の最高裁の判断は「戒告処分までは基本的に懲戒権者の裁量の範囲」とし、「戒告を超えてより重い減給以上の処分はいきすぎ」とした。 行政の裁量権を認めつつも憲法19条の「思想及び良心の自由」と第12条の濫用禁止条項とのバランスを示したものとなった。

ハシズムのねらい

こう見ていくと公立学校における「日の丸」、「君が代」はずっと「当たり前」ではなく、国民合意の無いまま政府が1989年の文部省告示以来押し進めてきたものである。 これほど疑義、疑念のある「日の丸」、「君が代」を橋下がゴリ押しするのは、その政府の尻馬に乗ったということもあるが、これを踏み絵にして反発する教師を追い出し、「長い物には巻かれろ」的なもの言わぬ教師と教育現場を作ることにある。 また、これら条例案への態度で政党や政治家に対し、敵か見方か、橋下に服従するか反抗するかを迫る踏み絵ともしている。すでに公明党は橋下の軍門に降った。 これはもちろん「当たり前のことをあたりまえに」でもなく、目くじら立てる必要の無い些細なことでもない。 「教育は2万%強制」という橋下の狙いを軽視してはならない。

「君が代」は英国製

ちょっと余談になるが、「君が代」は英国製だという話をご存知だろうか? 欧米列強と並ぶ近代国家を目指した明治政府はフランスと英国から軍事顧問を迎え入れていた。 その英国軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから「近代国家には国歌というものがある」と聞かされ、「なら作ってよ」と言って(依頼したのはたぶん当時の陸軍卿大山巌)作ってもらったのが初代の「君が代」。 ただ、歌詞は日本の古歌から採ったので、メロディと歌詞がマッチせず、その後に日本人が作曲しなおしたものが現在の「君が代」となっている。 「国歌」という言い方をするが、もともとその発生は(たいていの国で)軍歌だった。


参考リンク


Shino's Bar 店内案内