三種の神器と中世

古事記に登場するのは三種の「神宝」で、「三種の神器」という表記の初見は『平家物語』の壇ノ浦合戦がらみである。そこでは「神鏡剣璽」となっている。

二位殿は「神璽をわきにはさみ、宝剣を腰に差し」安徳天皇といっしょに海に飛び込んだ。「内侍所」と呼ばれる鏡は船上に取り残された。

次にレガリア(王権を証明するアイテム)が脚光を浴びるのが南北朝時代だが、このときも「神璽・寳鏡・寳劔」である。

この「神璽」を勾玉と解釈したのは南朝方の北畠親房で、『神皇正統記』にそれを書いている。古事記の「三種の神宝」に当てはめて解釈したのだろう。これがその後に神社本庁の見解となり、いまも俗説としてまかり通っている。


(画像はイメージ)

明治期になると剣璽等承継の儀が整備される。ここで重要視されるのは宝剣と神璽である。鏡は「等」未満の扱いとなり、勾玉はまったく忘れ去られている。

古事記にのみ登場する三種の神器(神宝)が現在の天皇家まで引き継がれていると考えるのは、まったくのファンタジーにすぎない。


参考文献:新谷尚紀『伊勢神宮と三種の神器』(2013)講談社

Posted on 19 Apr 2019, 22:18 - カテゴリ: 古代史
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