Shino's Bar

ダッカ便り

佐藤時啓さん(美術作家・東京芸術大学助教授)はいま、11月から始まるバングラディシュ・ビエンナーレ出展準備のため首都ダッカに滞在中。 そこで見たダッカの街は?佐藤さんの滞在制作の行方は? 現地から送られてくる(ホントに)ホットな手記。
LR/美術観察学会メーリング・リスト投稿記事を筆者の了解を得て転載します。 (時間は上から下へ流れます)

ダッカ便り(1) Posted: Sun, 8 Aug 99 05:54:17 +0900 Subject: [aw-ml:1681]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。 皆さん、今晩は

今日は昨晩のバンコク滞在をへて、バングラデッシュの首都ダッカにつきました。 11月のバングラデッシュビエンナーレの調査が目的です。 かなり苦労したものの(ホテルからの外線発信)地元IPASアクセスポイントに接続できています。

窓からははるかに広がる四辻とスラム街、リキシャや人々の溢れかえる様子が見えています。それは、遠景の空気遠近法的消え方といい、まるでハリウッド映画で見るアジアの場面の背景画そのもののよう。キーボードを打つ自身との間に相当の落差がありますが、水と人間の原初パワーにあふれた町に乾杯!

”昨夜のバンコクはなんて色っぽい町だったんだろう。一週間で抜け出さないと溺れるよ、とはひとから聞いていたが、中南米の町のような怪しい力がありながら同じ東アジア人の顔つきの安心感からか、町にいることに違和感がない。しかし、町にいるヤングが男か女か見分ける自信もない。ゴーゴーバーで踊っていた可愛いお姉さん、僕は今でも女性と信じている。でも、そんなの関係ないや、と思ってしまう町。

ダッカはベンガル人の発散する生のパワーに圧倒される町だ。町の規模に比べて算数が合わないほどに人が溢れている。人が、建物や、車や、木々の隙間からまさにアリのように涌き出てくる。僕の写真にも人が現れてくれるのだろうか。この町では、一番手にいれやすいツールは人力だそうだ。のっけから空港内到着カウンターでの工事が目を引いた。床のコンクリートをはがすのも運ぶのも全て大きなハンマーを振るう布切れ一枚をまとった男たちの腕力便り。回教国であることからもっと禁欲的な町かと思ったが、酒が無いことを除けば夜遅くまで屋台や食堂がにぎわっている。 今日は、日本在住のペインター、カジ・ギャスディンさんが帰省中でもありバングラを案内してもらった。ちなみにバングラとは、ベンガルの英語読みであるが、もともとは英国人が建てたバンガローから来た言葉らしい。ほんとかな?僕としては、かつて聞いたジョージハリスンのメロディでインプットされたものだが、生な町並みはほんとに好みだ。少し郊外に走ると、全てが水の風景。先日の大雨で水没した利根川河川敷が延々水平線までつながっている様子が想像できればぴったりかもしれない。最初は海かと思ったが、そこには木の頭が出ていたり、送電線があったりするのだ。夕食は、地鶏のカレーと羊のブレーン(脳)料理。うまかった。でもビールが飲みたい!明日は、どこかで買い込もう。いよいよ明日から仕事。”

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato (t-sato@os.rim.or.jp)
ダッカ便り(2) Posted: Wed, 11 Aug 99 04:32:59 +0900 Subject: [aw-ml:1689]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

ダッカ滞在三日目、だったかな?もう日にちの感覚を失っています。雨期なので、雨、雨、雨!水、水、水、!の毎日です。未だにビールを口にしていません。実は、部屋の冷蔵庫にはハイネケンの350ml缶が入っているのですが、税込みで7.5ドルという値段に対して、口にするものかと意地になっています。しかし、かなり拷問に近い状態。なにしろホテルの外に出れば一回の食事が50タカ(125円ぐらい)ですんでしまうのですがアルコールはご法度なのです。今のところ、ビールを手に入れるよいルートに出会っていません。(麻薬の売人には、たくさん出会っているのだけれど) そういえば、カリダスさんもバングラの人だったのですね。今のところ、どのルートからもカリダスさんの名前は出てきていませんが、どうされているのでしょうか。この前のメールで、バングラが英語読みと書いてしまいましたが、逆でした。ベンガルが英語読みです。 町の中にはリキシャが溢れています。もともと、日本の人力車の伝播によって、それを改造して自転車をくっつけたものがリキシャだそうです。

8月○日 天気 曇りのち雨のち少し晴れ間有りのち土砂降り

町の探索。とにかく人が溢れている。何の隔ても境もなくリキシャや車が走り、列車が通り抜けていく。排気ガスの臭いは、ハバナを思い出させるな。湿度80パーセントの空気は、マーケットの建物の中に入ればエアコンも無しの人いきれの中で、鳥ややぎの死臭と人の体臭が交じり合って息を詰まらせる。路地に回れば腐った泥に足をとられ、どぶの臭いと、ごみの臭い。 しかし、そこには裸の乳飲み子が横たわり、子供たちが、遊びまわっている。これが、我々(with、埼玉近美中村誠氏、アーティスト松本秋則氏)の宿泊しているホテルの前の道を一歩隔てた街の状況なのだ!

ここで我々は作品をつくる。ほんまかいな? 展覧会の行われるオスマニホールにも出かけた。この辺の政府の建物の有る一画は、別世界である。芝生が生え、瀟洒な建築が建っている。なんだか、とてつもなく貧富の差の有る国のようだ。おととしいったキューバのハバナも貧しい国で、貧富の差が広がっているのだったが、そんなものじゃない。

最初の予定のいつもの鏡と長時間露光の私の作品制作が、あまり意味のないことのように思えてきた。今回は違うことをやろうかな。と思い始めた。社会的な見方というものがあって、正義感にかられて見れば、ものすごくステレオタイプな見方しかできないだろう。ここで美術する意味って何なんだろう。

わたしは、スラムの人々の側に立てるわけではない。所詮は短期滞在の旅行者である。そんな私にとってリアルな作品を考えなければならないと思う。

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato (t-sato@os.rim.or.jp)
ダッカ便り(3) Posted: Fri, 13 Aug 99 05:06:29 +0900 Subject: [aw-ml:1698]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

ダッカ滞在6日目。もはや、シノバーさんが、目の前に現れてくれることを、アッラーに祈ります。免税で買ってきたウィスキーも切れてしまいました。明日は金曜日で、ホテルのバーからも酒が無くなってしまいます。やばい。 ところで、バングラデッシュビエンナーレは今年9回目で、日本は初回からの参加です。今回は18日まで滞在して準備をします。展覧会は11月5日からです。

しかし、ダッカの町は確かにスラムがあったり排気ガスくさかったりするのだけれど、なんだかとてもいとおしい街です。他の町だったら、決してスラムには近づかないのが旅人の鉄則ですが、この街は違います。材料を求めてマーケット(香港の九龍城がイメージできます。)やスラムに入っても、人垣にはなるものの、外人珍しさだけで、なんともなんともフレンドリーなのです。もう3度も見ず知らずのバラックで、お茶やサイダーをご馳走になってしまいました。正直にいえば、最初はありがた迷惑で、そのコップを除菌クリーナーで拭きたいと思ってしまったのですが、一度口にしてからはもう仲間。ほんとにすれていない人たちなのです。彼らは水害などで、家を失った地方の人たちがスラムを作って住んでいるのだそうです。たぶん、観光客のほとんどいない今だからこそ。今は何にも情報誌が無い状態なのです。

8月△日 天気、曇りのち土砂降り。

今日は、朝からリキシャを手に入れようとマーケットの裏のスラムのほうに行った。そうしたら、何と!線路脇に巣食った形で延々と続いていたバラックの鍛冶屋や木工屋の建物が、瓦礫になっている。片方では、その残骸をトラックが運び出しているのだ。何があったんだろう。頭がぐるぐる駆け巡る。一人の男が叫び出した。友人のカビール氏によると、スラムに殺人犯がでて、その見せしめのために政府によって一帯の家家が打ち壊しされているらしい。何と!悲しい。昨日まで線路脇のこのスラムと人の溢れ加減と、その脇を走り抜けていく列車のコントラストに、見たことのない日本の終戦直後の様子をイメージしながら、一番の気に入りの場所だったのに。親しげに話し掛けてきた人たちはどうなったんだろう。胸が重くなる。

今回、私は、この町の人々のパワー以上の作品は作れない、と開き直った。この街を鏡のように写す作品を作ろうと思う。写真に撮るというのはあまりにストレート。私の手口としては正に鏡そのものを作ろうと思う。具体的には安価に手に入るレンガを使って。もうひとつはリキシャを使って。

やっとのことで、旧市内(オールドダッカ)の方にリキシャの工場(こうば)を見つけた。5坪ぐらいのレンガのバラックにはいつくばった10歳ぐらいの少年が黙々と車体絵を描いている。うまい!独特の鳥やトラや動物の絵が丹念に描かれていく。もうこれは買うしかないだろう。値段交渉の末8000タカ(2万円弱)にて成約。2週間後に完成するとのこと。改造のために採寸しなければならないが、誰かの持ち物を計らせてもらう。わーい。Myリキシャだ。ダッカの町には自転車は走っていない。リキシャも営業用のみ。私は、これに乗って紙芝居おじさんのように、リキシャカメラ(客席部分にカーテンをつけて天井からのレンズ越しの外の映像が映るように作る)の映像をお客さんに見せる予定。でも、この街を無事に運転できるでしょうか。

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato <t-sato@os.rim.or.jp>
ダッカ便り(4) Posted: Sat, 14 Aug 99 17:33:32 +0900 Subject: [aw-ml:1703]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

日本も熱帯低気圧の影響で、天気が崩れている様子ですね。テレビが伝えています。こちらはすっかり安定した雨の日々。数日前にこちらからヨーロッパにかけて皆既日食があり、大きく報道されていました。もちろんこの地では太陽を見ることはできません。

今日、松本秋則氏が帰って行きました。竹や和紙を使って楽しいサウンドインスタレーションを作る作家ですが、“文殊の知恵熱”の公演活動もされています。このひとはアジアの達人。一緒に旅をしたのは始めてですが、地元ベンガル人にも呆れられるほどのなじみ方をしていました。毎日、市場の労働者向け食堂で食事をしてましたし、一緒に歩いていてもすぐ路地裏のほうに消えてしまい、どんどん奥に入っていって、きらきら目を輝かせている姿が印象的です。彼がいなかったらなかなかスラムには近づけなかったでしょう。こちらは、ハイクラスの人と、底辺のひとしかいない、とはダッカ大学美術学部長の言葉。したがって、ハイクラスの人々は労働者の食堂には入らないわけですよね。しかし、国民のほとんどの労働者の人々は朝早くから夜遅くまでほんとに良く働いています。この人たちを見ているのが一番面白い。それから日記ですが、何の計画も無く書き始めたので順番がリニアではありません。御了承ください。

8月□日  天気 雨

ダッカでの制作活動や展示の手伝いをしてくれる学生などをお世話になるために毎回日本側から協力依頼しているダッカ大学の美術学部長H氏に会いに行った。これは、日本大使館からの要請でもあるのだが、地元の作家などからは良い噂を聞かない。何しろこの人物、ペインターではあるらしいのだが、自分のステータスと力と金の話しかしない。何を相談しても、具体的な話にはならず、まかせなさい、の言葉だけ。やはり、これはまずそうだ。しかし、好き嫌いも激しそうだし、地元の力学を担っている人物なのでここで嫌われると後の動きが辛そうだ。また、この人物にいれ込んでしまうと地元のフリーのアーティストたちとの関係が難しくなる。かといってその人たちを第一にしてしまうと、我々ばかりか、その人たちの活動にも迷惑がかかりそうだ。うーむ。これは政治だな。

当日、H氏の弟である同大学助教授のH氏を紹介してもらう。この人に何でも相談しなさいと。お兄さんもそうだが、弟のH氏も日本に留学経験があり、日本語が話せる。弟氏は日本画を専攻されたそうで、院展や草画会の話が中心。竹や、レンガの職人を手配するにはどうしたら良いかや、道具はどこで見つけられるかを聞いたが要領を得ない。ダッカ大の彫刻科に相談してみようと連れていってくれる。しかし、驚いた。イギリス留学経験のあるという、女性助教授は自分の塑造作品のアピールばかりで我々のプロジェクトにはまったく興味がなさそうだ。おまけに、授業内容は人物デッサンと、塑造、木彫だけ。何やら西洋の様式を真似た日本の美術教育のさらに真似のようにも思える。次にセラミックのコースに行ったが、ここもびっくり、やってることの硬さはどっかの美術大学以上だし、なんと初代教授は日本人だったそうだ。どうやら、ここの学校はあまり当てにしないほうが良さそうだ。

コミッショナーの中村氏と、相談をする。 ここは、H氏に全面的に協力のお願いをして、どうせ実質的なところは動かないから、実質的なところは別のルートで動き、周辺を固めてから再度学生の手配などをお願いしようと。実際のところダッカ大学の美術学部の学生は良家の子女たちだから、今回我々がやろうとしている、竹やレンガやリキシャをつかったプロジェクトの作業などできそうにない。だから、重要なところは地元の職人を使い、最後の仕上げ部分のコラボレーションを学生たちにやってもらうことにする。

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato <t-sato@os.rim.or.jp>
ダッカ便り(5) Posted: Mon, 16 Aug 99 04:41:40 +0900 Subject: [aw-ml:1705]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

いよいよ今回の滞在は明日とあさっての2日を残すだけとなりました。結局、太陽は着いた日に少し顔を見せただけでカメラを取り出すにはいたりませんでした。したがって今回はレンガとリキシャのプロジェクトのみで行くことに決定しました。松本氏は、いつものように竹を手にいれることができたので問題無し。今日は、竹を手に入れる話を書きます。その後に、松本秋則氏の展覧会の案内。レンガの話は次回です。

8月◎日 天気 曇り、雨

今日は予定が空いたので、車で市内をロケハンすることにする。イギリス統治時代に造られた鉄橋などが見たかったので、雇った運転手に「市内で一番古い橋に連れて行ってくれ」と頼んだ。オールドダッカ近くのリキシャやベビータクシー(ピザ屋のバイクの囲いを鉄製の立派なものにして、後ろに3人がけのいすをつけたようなの。バンコクのトクトクより少し小さい。)が、バッタの集団のように道路にあふれ、にっちもさっちも行かなくなる。この場合、隙があれば平気で対向車がこちらの車線に入ってくるし、少しでもぼんやりして居ようものなら後ろから追い越される。この街で車は運転したくない。

やっとの思いで、その橋に到着した。だが・・・、しかし・・・、唖然。 確かに古い橋なのだが、それは川幅5メーター程のどぶ川に掛かる橋だった。おいおい。運転手は古い→汚いと短絡してしまったのかもしれない。まさにスラムのど真ん中、橋の下はごみ捨て場になり川幅半分ほどがごみで埋まっている。臭い。早くこの場から立ち去りたいと思った。だがそう思う間も無く松本氏が「あそこにある竹、結構まっすぐだぜ」という。これまで、行き当たりばったりで、道路脇の竹屋を覗いていたが、なかなか太くてまっすぐな竹は見つからなかった。橋の下の少し上流の方を見ると確かに竹が並んでいる。中村氏と松本氏と私は、橋の下のほうに降りていった。竹屋に行くにはさらに、どぶ川に渡した、竹を4、5本並べて縛ったただけの橋を渡らなければならない。足を滑らせたらどうなるか、を想像したくなかったので緊張しながらさっさと渡った。何しろ水草の間のごみエキスをいっぱい吸った脂ぎった水面は下からのガスでぼこぼこしているのだった。

竹の東屋にいたオヤジは、以外にも携帯電話を持ち、片言ながら英語もしゃべる。しかし、怪しい雰囲気。竹の並んだ脇には、竹の皮で作ったバラックの部落がある。10家族以上住んでいるようだ。今までは、レンガやコンクリートだったが、スラムにもランクがあるのだろうか。このオヤジはものすごい話好き。我々は竹の話をしたいのに、我々を椅子に座らせ、スプライトを振舞ってくれる。飲みたくないが。いつものように周りは人だかり。彼は、我々をママさんと呼ぶ。親戚が日本で働いているのだそうだ。これ以上太い竹があるか、ときくと、何でもある、という答え。そうしたら見せてくれというと、別の話に。この親父竹を売る気が無いのか?

そのうち、自分の家の自慢をしだした。竹のバラックの後ろにコンクリートの3階建てぐらいの建物がある。途中鉄筋が剥き出しになっているのは、この地でよく見かける建築途中、(今後もっと大きくなる予定)のしるし。なにやら、映画で見た、コロンビアの麻薬組織のドンに、顔も話し方もよく似ている。ピストルが出てきたらどうしよう。と思いながら、埒があかないので値段を聞いて退散する。後ろを見ると我々が残したスプライト、周りの人達がみんな飲み干した。飲まなくて良かったのかな。

その後、運転手に「今度はもっと大きな橋に連れて行ってくれ」と頼むと、確かに大きな橋に連れて行ってくれた。だがそれは中国が90年代に作った新しいものだった。残念ながら今日はこれでおしまい。

後日、通訳の日本人女性アベディンさんを連れ竹屋に再訪。彼が竹の商談に乗り気で無かった理由がわかった。松本氏が、指を指していた太い竹は、隣の竹屋の竹だったのだ。しかし商談成立。松本氏は、彼の竹(細いもの)20本を一本30タカ(70円ぐらい)で、6メーターの太いもの20本を1本40タカ(100円ぐらい)、(彼は隣から買って売ってくれた)。それに、竹を洗うコスト80タカ、プラス日本大使館までの自転車で荷台を引っ張るもので2時間ほどのトランスポートコスト25タカ。次の日に、とても心配だったが雨にも関わらず約束どおりの時間にもって来てくれた。そこが、日本大使館だったからだろうか??

松本秋則展「バンブー族の祭り」
8月26日(木)〜11月30日(火)土日は、休館(祝日は開館)am9:00〜pm6:00まで。
〒150−8360 渋谷区渋谷3−6−7ゼクセルビル1階ZOOMにて。
03−5485−4101担当長崎、塩沢

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato <t-sato@os.rim.or.jp>
ダッカ便り(6) Posted: Tue, 17 Aug 99 03:02:38 +0900 Subject: [aw-ml:1706]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

実は・・・・。ビールをゲットしたのです。(^_^) ばんざーい!万歳!あるところにはあるのですね。もう残り2日なのにBeck’s Beerを12本もらってしまいました。ずいぶんと久しぶりに4本をがぶ飲みしたのですが、あと8本飲み切れない。もう胃がゲフゲフです。(^^ゞ

今回は、日本大使館2等書記官で文化担当の田中さんに大変にお世話になっています。30代半ばの方ですが、今まで海外で大使館の方にこんなにも面倒を見ていただいたことはありません。田中さんのいとこの方が信濃美術館の学芸員だそうで・・・・もしかして、このML読んでいらっしゃったりして(^^ゞ

その方の旦那さんが、パフォーマンスアーティストの霜田征二さんとは、びっくりしました。ほんとに縁は異なものですねえ。話が盛り上がりました。その田中さんの私邸に夕食に招かれて伺った時、奥さん手作りのおいしい日本料理とともに、ビールやブランディーをいただいたのです。それがどこで手に入れられるか伺ったところ、やはりツーリストは買えなく、レジデンシャルパーミットを持った外国人が買えるのだそうです。でも、ご親切を真に受けあつかましくも1ケースいただいてきてしまいました。そして中村さんと山分けした次第です。

田中さん、感謝、感涙です。それにしてもダッカ日本大使館の金庫には松本氏の購入した麻紐やら針金やら工具が鎮座しております。そして、倉庫には竹40本が、そしてもう少ししたらリキシャが。大使にはお会いしておりませんが、どう思われるでしょうか。田中さんは、休日なのに濡れた竹を40本乾いた布で拭くことまで手伝ってくれたそうです。しかし、一般的にはこんなことはほとんど奇跡ですね。田中さんのような方がどんどん出世してくれるよう、みんなで祈りましょう。  

8月☆日 天気 曇り、雨

ダッカを走りながら、市内や、郊外でも、そこかしこで目に付くのが赤いレンガである。かなり象徴的な眺めといって良い。水没した田園風景の中にもレンガの積まれた山が顔を出している。今回は、この素材を使って作品にしようと思う。最終的なプランとしては、展示会場のオスマニホールの前庭にちょうど本を開いたような俯瞰すると“く”の字型の作品を設置することにした。幅1,5m高さ3メーターの内部を人が通行できるトンネル状のものだが、2つずつのレンズがそれぞれの辺で、外の雑踏と内務省、オスマニホール、をその内部に映し出すカメラを作るのだ。

レンガを何万個も積み上げた、一見古い遺跡にも似た風情のレンガ工場に行ってみた。レンガにはその焼成の具合によって上、中、下とある。上は固さ形とも合格のもの。中は形が少し崩れているもの。下は焼きすぎたり完全に形が崩れているものだそうだ。これは、ハンマーで崩して砕石代わりに使うらしい。これは、朝から晩までひたすらそれをつぶしている女性達が居る。崩れたレンガはだんだん赤い砂の山になっていくのだが、安部公房の“砂の女”をイメージしてしまう。同時に、顔料のベンガラと、ベンガルがイメージとして重なってしまう。ほんとかな?

値段は、上等のもので1個2.7タカ。(約5円)信じられないほどリーズナブルである。ぐっと今回のプロジェクトが現実味を帯びてきた。計算すると約1万個ぐらいレンガを使うことになるが、単純にレンガだけなら5万円で済む。デリバリーのコストはトラック一杯2000個(約2トン)で500タカ(1000円ぐらい)だから、5000円ぐらい。合計55000円で済むことになる。だが、しかし、このレンガ積みを私と手伝いの人でやるのは無理だろう。何しろ人がくぐる空間だから、万が一を想定しなければならない。職人を探さなければならない。

この件で、いろんな地元のアーティストなどに相談してみたがなかなか具体的な話にならなかった。なぜなら、一番大切なのは、単純にレンガを積む職人ではなく、構造計算をして、その施工を管理する人なのだ。これは困ったなあ。と思っているところに、大使館の田中さんより連絡があり、清水建設の事務所が近くにあるから相談したらどうかとのこと。早速伺ってみる。普段は大きなトンネル工事やダム工事などを請け負っているゼネコンの方々が、私のちっぽけなアート作品のために知恵を絞ってくれる。うん、これは大切なことだ、と勝手に思う。結果、50万の予算を告げると(これは日本から作品を運ばないことで捻出する予算。制作費としては一銭も出ない。)地元の建設会社を使い、何とかなるでしょうと、笑いながら言ってくれました。良し!いざというときの日本企業。ツーといえばカーと答えが返ってくるのは気持ち良い。今回のプロジェクトには、リキシャ職人から、竹屋のオヤジ、そして清水建設の駐在員まで巻き込んでしまおう!!!。ついでにタクシーの運ちゃんやら、毎日会うホテルのメイドさんまで。彼らにびっくりしてもらうのが、当面の目標です。 

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato <t-sato@os.rim.or.jp>
ダッカ便り(7) Posted: Thu, 19 Aug 99 12:39:00 +0900 Subject: [aw-ml:1712]
From: Tokihiro Sato -------- Tokihiroです。

この間、抜けた情報。レンガの作品の大きさは幅1.5メーター、高さ3メーター、長さは“く”の字型の両ウイングが弧を描いていて(この形状は、公園と廻りの立地条件によっています。) それぞれの弦の部分の長さが7メーターずつです。また総予算の中には、撤去費用まで含みます。もしこれを日本でやれば、20倍ぐらいの予算になってしまうでしょう。

今日がいよいよ最終日。とてもめまぐるしい一日でした。やっとのことで、日差しが顔を覗かせたのです。朝は、郊外までドライブに出かけ、その後ビエンナーレ事務局に作品プランの最終チェックをしてもらい、測量墨出しをし、リキシャの仕上がり確認をして、夜は対照的なパーティを二つ掛け持ちしました。

ひとつは、超上流のコレクターの邸宅にて。もうひとつは日本在住アーティスト、カビール氏の一般的な家庭にて。朝には、郊外の電気も無いほとんど古代のような生活をしている部落の家庭も覗きましたので、頭が、少しくらくらしています。今回の滞在はこれでお終いですが、次回は10月末にまた来ます。珍しく単独ではない旅行でしたし、なによりもコミッショナー中村誠氏の気配りのサポートによって、とても快適な滞在ができたことを申し添えておきます。また、気ままな文章にお付き合いいただいた皆さん有難うございました。 

8月※日 天気 曇り時々晴れ

郊外の風景が見たかったので、朝早くから車ででかけた。激しい渋滞を抜けて市の南側を流れるブリガンガ川を越えると、そこにはのどかな田園風景が始まる。市内の排気ガスやクラクションの喧騒が全く嘘のように思える。まっすぐな一本辻をひたすら走る。空気がさわやかになったことに気がつく。両側には水没した広大な水景が広がり、松島のように高台にある集落が取り残されている。水の上には、舟が浮かび、行き来している。見たことは無いが、いやきっと何かの写真で見た風景が記憶されているのだろう、懐かしさがこみ上げてくる風景である。たぶん、帆掛け舟などが浮かんでいる光景は、戦前の霞ヶ浦の写真などで見たのだろうか。その、包み込まれるスケール感やふんわりとした光線の具合によって、精神がだんだんと柔らかく気化していく。

舟に乗った。漕ぎ出すと水面には一面に水草が浮かび、名前は知らないが、国花の可憐な花がそこかしこに咲いている。うつらうつらして目を覚ませば、ここは天上の国だろうかと錯覚してしまう。ここしばらく雇っている運転手の田舎だそうで、途中の島になった集落に連れて行ってくれた。集落というよりは、一家族ずつ敷地が島になっているようだ。上陸してみると、そこでは土で壷をつくり焼いている。丸い壷がきれいにピラミッドのように積み重ねられていて、それを藁などで野焼きしているのだ。電気も無いようだし、殆ど原始時代と変わらない生活をしているのだろう。ここは、ヒンドゥの部落だそうだ。また水面に漕ぎ出す。水面下を小魚が遊び、そこかしこで子供達が水遊びに興じている。この水の里は、冬には肥沃な大地となって米や作物を生み出すのだろう。

午後は、シルパカラアカデミーに行く。ここは政府の機関で、文化催事を担当しているところだ。出品形態の最終的な確認をし、展示場所の測量をした。デザインだけで、ほぼ完全に外注するのは初めてのことなので複雑な心境である。次回来るときには現実のものになるはずだ。

次にリキシャのチェックに行く。約束どおり、私のリキシャに車体絵が施されていた。この絵を描いている10歳ぐらいの少年。本当に上手で、無駄も無く、驚いてしまう。何と大人びていることだろうか。幌の部分に飾りをつけて、25日に納車の予定。私は見ることができないが、大使館に収めてもらう。

そして夜8時に、カジさんと大コレクター宅に伺う。仰天した。原美術館よりも規模的に大きな邸宅で、庭にはもちろんプール。高級車がずらりと並んでいる。ここは、どこの国なのか失念しそうだ。しかも各部屋には壁の隙間も無いほど、良質の絵画が並んでいる。私は、インド、バングラデッシュなどアジアの絵画には全く疎いのだがそれがつまらない絵ではないことが一目でわかる。ダゴールやチョドリのオリジナルなどが目に付く。この人は本当の金持ちだ、財産をファウンデーションにして、ワークショップを行ったりさまざまなサポートをしている様子。話しても偉そうなところがかけらも無くすばらしい人物である。

ゆっくりしたかったが早々に辞去して、カビール氏宅に向かう。ここは、アパートメントのビルを所有しているようだ。何部屋かを賃貸し、兄弟家族で何フロアかに住んでいる。暮しぶりは我々日本人が驚かないぐらいの普通の暮らしぶりだろう。もちろん、物は圧倒的に少ないが空間的にはリッチだ。お母さんが肉、魚、野菜、のフルコースでご馳走してくれる。本当においしい。レストランで食すものとは、また一味違う。気を使ってくれたのだろうか、全く辛くない。この件については、また我々なりの結論もある。素材が新鮮なほど香辛料の含有量が少ないのじゃないかということだ。怪しい材料ほどたくさんの香辛料が入り、辛いと。安い食堂ほど辛さが増していたようなな気がする。すっかり、右手だけでの食事になれてしまい、病み付きになりそうだ。ベビータクシーでホテルに帰ったらもう一時近くになっていた。メールは日本に帰ってからにしよう。豊かなベンガルに、しばらくさようならを。

||||||||||||||||||||||||||||||||||| Tokihiro Sato <t-sato@os.rim.or.jp>
この記事は LR/美術観察学会メーリング・リスト投稿記事を筆者の了解を得て転載するものです。
感想、お便りは佐藤さん <t-sato@os.rim.or.jp>まで。またはシノバー掲示板へ。
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